"Gloria-グロリア(1980)" [movie-g]
極寒の中、東京都現代美術館に"東京アートミーティング~トランスフォーメーション"を観に行く。
すごい!!面白い展示!!!…と思ったものの、結構遅い時間に行ったため、
映像作品など全部見切れず(あんなに映像作品があるなんて…先に教えてほしかった…)、
リベンジするので、レビューはその時までおあずけ。
今日はきちんと自炊をして、映画を観ながらゆっくり夕飯を。
最近は2~3カ月に一度来る(笑)マイ野菜ブームのサイクルの時期で、
毎日野菜メインの食卓を心がけてます。
とはいえバリエーションは貧しく(涙)、
毎回マイブームが必ずあって、同じものばかり食べてしまいます
(前回は蒸野菜と豚肉の大根おろしポン酢)。
今回の野菜ブームの主役はこちら、温野菜のアンチョビソースがけ。
でも今日はこちらではなくトマトの煮込みとかぶと人参のスープ。
スープは最近流行りの生姜を入れて、あったまる一杯に。
そんな夕食のお供が、ジャームッシュ、ヴェンダースも尊敬する、
インディペンデンスフィルムの父J・カサヴェテスが彼の妻ジーナ・ローランズを主演に迎えた『グロリア』
数年前に観て大興奮したこの作品が、廉価版DVDで出ていてたので、
近いうちもういちど観ようと買い置きしていた一枚。
『グロリア』は、マフィアの裏データを売ろうとして、
組織に皆殺しにされた家族の生き残りであるぷエルトリカンの少年を、
同じアパートに住む彼の母親の友人グロリアが守り、
マフィアから逃げ回る過程で二人の間に芽生える愛情を描いた作品。
L.ベッソンの『レオン』を髣髴とさせる、
孤独なアウトロー&子供vs悪の組織という構図、
まっとうな人生を歩いてきたわけではないグロリアの、哀愁を帯びた厳しい容姿に、
家族を失った少年の強がりと甘えがふんわりと纏わりつく。
グロリアを演じるジーナ・ローランズが文句なくクール。
ウンガロの服を颯爽と着こなし、
パンプスから伸びるすらりとした脚を見せつけるように早足で歩く。
J.カサヴェテスの作品では、同じくジーナ・ローランズ主演の『こわれゆく女』も観たことがあるが、
こちらでの彼女は、役どころの違いによるだろうが怪演と呼ぶにふさわしい趣がある。
話がそれてしまったが、
ジョン・アダムス演じるフィル少年のひたむきな科白まわし、こまっしゃくれた様子も私には好印象。
なにより、彼とグロリアの拙いとも言える掛け合いの合間に見せる、
彼の印象的な眼差し、ふと見せるいい表情は、
将来どんなプレイボーイになるだろうかと想像させるのに十分なもの。
子供というものを持たないがために、彼を子供として扱おうか、男として扱おうか、
その微妙なラインで逡巡するグロリアのちょっとした葛藤も見て取れる。
あざとい、わざとらしい、とも言えそうなセリフをフィルに言わせているけれど、
それはそれでこの映画の雰囲気にはぴったりだったような気がした。
この映画は、当時のNYの空気をあますところなく伝えてくれる。
冒頭、華やかな色彩のタイトルロールからはじまり、
印象的なBGMと俯瞰のNYが、観る者を引きこむ。
フィルの母親が何やらあわただしい様子でバスに乗り帰宅するシーンから、
都会の喧騒とひりひりするようなライブ感が伝わってくる。
逃げ回るグロリアとフィルが縦横無尽に駆け回るNY。
場所は判らないけれど、ダウンタウンからアップタウンまで、
彼らの足はキャブからバス、地下鉄まで、
その時々の交通手段のチョイスも含め、街全体が舞台装置のような雰囲気だ。
ラストの演出など、どうかな、と思うところもあるけれど、
(J.カサヴェテスはこの作品をハッピーエンドにしたくなかったらしいが、
プロダクションの意向もあって、ああいうラストになったらしい)
あたりかまわず度胸良く銃をぶっ放すグロリアの姿、
少年の安全を賭けて、組織の大物のところに乗り込むグロリアの優雅さを伝えるカメラワーク、
何度観てもはらはらし、引き込まれてしまう。
女っぷりがいいとは、彼女のような女性のことを言うのかもしれない。
グロリアについては、フィルの両親を殺した組織とつながりがあり、過去に犯罪歴がある、
としか明かされないが、きっと、常人には計り知れないような過去を持つはず。
彼女の若いころのエピソードで、もう2、3本くらい映画が作れそうな気がする。
そんな彼女が母性に目覚める話、ではないのがいい。
なぜ彼をそこまでして守ろうとするのか、理由は最後まで分からないままだけれど、
母性に目覚めるというよりも、年齢、性別を超越した無償の愛にとらわれる、そんな話なのだと思う。
女性が主演の、最高に粋なハードボイルド。
GLORIA
グロリア
1980/USA/121min
監督:ジョン・カサヴェテス
脚本:ジョン・カサヴェテス
撮影:フレッド・シュラー
音楽:ビル・コンティ
出演:ジーナ・ローランズ/ジョン・アダムス/バック・ヘンリー/ジュリー・カーメン
すごい!!面白い展示!!!…と思ったものの、結構遅い時間に行ったため、
映像作品など全部見切れず(あんなに映像作品があるなんて…先に教えてほしかった…)、
リベンジするので、レビューはその時までおあずけ。
今日はきちんと自炊をして、映画を観ながらゆっくり夕飯を。
最近は2~3カ月に一度来る(笑)マイ野菜ブームのサイクルの時期で、
毎日野菜メインの食卓を心がけてます。
とはいえバリエーションは貧しく(涙)、
毎回マイブームが必ずあって、同じものばかり食べてしまいます
(前回は蒸野菜と豚肉の大根おろしポン酢)。
今回の野菜ブームの主役はこちら、温野菜のアンチョビソースがけ。
でも今日はこちらではなくトマトの煮込みとかぶと人参のスープ。
スープは最近流行りの生姜を入れて、あったまる一杯に。
そんな夕食のお供が、ジャームッシュ、ヴェンダースも尊敬する、
インディペンデンスフィルムの父J・カサヴェテスが彼の妻ジーナ・ローランズを主演に迎えた『グロリア』
数年前に観て大興奮したこの作品が、廉価版DVDで出ていてたので、
近いうちもういちど観ようと買い置きしていた一枚。
『グロリア』は、マフィアの裏データを売ろうとして、
組織に皆殺しにされた家族の生き残りであるぷエルトリカンの少年を、
同じアパートに住む彼の母親の友人グロリアが守り、
マフィアから逃げ回る過程で二人の間に芽生える愛情を描いた作品。
L.ベッソンの『レオン』を髣髴とさせる、
孤独なアウトロー&子供vs悪の組織という構図、
まっとうな人生を歩いてきたわけではないグロリアの、哀愁を帯びた厳しい容姿に、
家族を失った少年の強がりと甘えがふんわりと纏わりつく。
グロリアを演じるジーナ・ローランズが文句なくクール。
ウンガロの服を颯爽と着こなし、
パンプスから伸びるすらりとした脚を見せつけるように早足で歩く。
J.カサヴェテスの作品では、同じくジーナ・ローランズ主演の『こわれゆく女』も観たことがあるが、
こちらでの彼女は、役どころの違いによるだろうが怪演と呼ぶにふさわしい趣がある。
話がそれてしまったが、
ジョン・アダムス演じるフィル少年のひたむきな科白まわし、こまっしゃくれた様子も私には好印象。
なにより、彼とグロリアの拙いとも言える掛け合いの合間に見せる、
彼の印象的な眼差し、ふと見せるいい表情は、
将来どんなプレイボーイになるだろうかと想像させるのに十分なもの。
子供というものを持たないがために、彼を子供として扱おうか、男として扱おうか、
その微妙なラインで逡巡するグロリアのちょっとした葛藤も見て取れる。
あざとい、わざとらしい、とも言えそうなセリフをフィルに言わせているけれど、
それはそれでこの映画の雰囲気にはぴったりだったような気がした。
この映画は、当時のNYの空気をあますところなく伝えてくれる。
冒頭、華やかな色彩のタイトルロールからはじまり、
印象的なBGMと俯瞰のNYが、観る者を引きこむ。
フィルの母親が何やらあわただしい様子でバスに乗り帰宅するシーンから、
都会の喧騒とひりひりするようなライブ感が伝わってくる。
逃げ回るグロリアとフィルが縦横無尽に駆け回るNY。
場所は判らないけれど、ダウンタウンからアップタウンまで、
彼らの足はキャブからバス、地下鉄まで、
その時々の交通手段のチョイスも含め、街全体が舞台装置のような雰囲気だ。
ラストの演出など、どうかな、と思うところもあるけれど、
(J.カサヴェテスはこの作品をハッピーエンドにしたくなかったらしいが、
プロダクションの意向もあって、ああいうラストになったらしい)
あたりかまわず度胸良く銃をぶっ放すグロリアの姿、
少年の安全を賭けて、組織の大物のところに乗り込むグロリアの優雅さを伝えるカメラワーク、
何度観てもはらはらし、引き込まれてしまう。
女っぷりがいいとは、彼女のような女性のことを言うのかもしれない。
グロリアについては、フィルの両親を殺した組織とつながりがあり、過去に犯罪歴がある、
としか明かされないが、きっと、常人には計り知れないような過去を持つはず。
彼女の若いころのエピソードで、もう2、3本くらい映画が作れそうな気がする。
そんな彼女が母性に目覚める話、ではないのがいい。
なぜ彼をそこまでして守ろうとするのか、理由は最後まで分からないままだけれど、
母性に目覚めるというよりも、年齢、性別を超越した無償の愛にとらわれる、そんな話なのだと思う。
女性が主演の、最高に粋なハードボイルド。
GLORIA
グロリア
1980/USA/121min
監督:ジョン・カサヴェテス
脚本:ジョン・カサヴェテス
撮影:フレッド・シュラー
音楽:ビル・コンティ
出演:ジーナ・ローランズ/ジョン・アダムス/バック・ヘンリー/ジュリー・カーメン
"GIRL, INTERRUPTED-17歳のカルテ"(1999) [movie-g]
油断するとすぐブログ放置してしまいます。反省。
映画も多少は見ているのだけれど…。何となく書く気になれず…。
残暑の疲れが溜まっているんでしょうか。
ようやく夏休み前半戦。明日から実家に帰省(と言っても隣の県でかなり近いのですが)、とのんびりできるので、
夜更かしして観返して、印象に残った作品がこちら。
ここ数年「ガールズムービー」という言葉が流行っているけれど、
その「ガールズ・ムービー」の中でも群を抜いて光っている作品のひとつ。
ウィノナ・ライダーが原作に惚れこみ、企画段階から関わり製作・主演を買って出たにもかかわらず、
アンジェリーナ・ジョリーの突出した演技力に食われて目立たなかったとか、
その設定ゆえに名作「カッコーの巣の上で」と比べられがちだとか、
そういうこの映画にまつわるエトセトラは置いても、
この年頃の女性の心理と葛藤と成長を細やかに描いたことで、忘れ難い作品だと思う。
不倫や親子関係から自殺未遂を起こし、境界性人格障害と診断されるスザンナ(ウィノナ・ライダー)。
治療のために精神療養施設・クレイモアに入れられ、はじめは違和感を感じていたけれど、
傷つきながらも自らの感情や境遇から自由でいようとする患者たちと交流するうち、
次第に居心地の良さを感じ、自分の居場所を見つけたように感じるスザンナ。
中でも入院患者たちを支配下に置き、危険な行為を繰り返しながらも、
強烈な印象を相手に与え、魅了するリサ(アンジェッリーナ・ジョリー)との出会いによってスザンナの生活は一変する。
けれど、彼女と交流するうち、彼女が患者たちに囲まれた、施設の中でしか生きられない人間だということに気づき、
退院に向けてきちんと治療を行い、外に出ていく努力をする。
いくつになっても、彼女たちのような危うさやアンバランスさは、女性の中には巣食っていると思う。
表面上まともに見えても、精神のバランスは意外と脆い。
映画の中盤で医師とスザンナが"アンビバレンス"という単語について話すシーンがある。
"アンビバレンス"とは相反する強い感情のこと。
二つの力に引き裂かれる、という意味のこの単語を、スザンナは「どうでもいい」と表現する。
人生はいくつかの"アンビバレンス"に彩られている。
愛情と憎悪、尊敬と軽蔑、
そして単純な引き金で人は生きようと思ったり、簡単に死んでしまったりもする。
アンジェリーナ・ジョリーがアカデミーに輝いた作品だけれど、
個人的にはウィノナ・ライダーの演技に一票入れたい。
確かにアンジェリーナのエキセントリックな演技は素晴らしい。
けれど、ウィノナ・ライダーの"ほとんど"正常に見えて、明晰な頭脳と繊細な危うさを背景に持ち、
ときどきバランスを崩してしまうという役柄は、実際自分や、自分の周りにもありうる感覚だし、
簡単に感情を暴発させてしまう役よりは案外難しいと思う。
他の入院患者たちの演技も皆素晴らしかった。
残念ながら最近心不全で亡くなってしまった、ブリタニー・マーフィーも重要な役どころで出ていたりする。
やっぱり男性より、女性が共感する映画だろうけれど、
年頃の娘をもつ父親なんかも案外観ておいて損はない作品だと思う。
当時の雰囲気も見事に表現されているし、何より施設内の雰囲気もいい。
医師役のヴァネッサ・レッドグレーヴや、婦長役のウーピー・ゴールドバーグなど、脇を固めるベテラン陣も見事。
"GIRL, INTERRUPTED"
17歳のカルテ
1999/USA/127min
監督:ジェームズ・マンゴールド
製作:ダグラス・ウィック/キャシー・コンラッド
原作:スザンナ・ケイセン
撮影:ジャック・グリーン
音楽:マイケル・ダナ
出演:ウィノナ・ライダー/アンジェリーナ・ジョリー/クレア・デュヴァル/ウーピー・ゴールドバーグ
ジャレッド・レト/ブリタニー・マーフィ/エリザベス・モス/アンジェラ・ベティス/ジェフリー・タンバー
ヴァネッサ・レッドグレーヴ/トラヴィス・ファイン
ちなみに主人公スザンナ・ケイセンは原作の作者であり、原作は彼女の施設での経験を描いた作品だそうだ。
映画も多少は見ているのだけれど…。何となく書く気になれず…。
残暑の疲れが溜まっているんでしょうか。
ようやく夏休み前半戦。明日から実家に帰省(と言っても隣の県でかなり近いのですが)、とのんびりできるので、
夜更かしして観返して、印象に残った作品がこちら。
ここ数年「ガールズムービー」という言葉が流行っているけれど、
その「ガールズ・ムービー」の中でも群を抜いて光っている作品のひとつ。
ウィノナ・ライダーが原作に惚れこみ、企画段階から関わり製作・主演を買って出たにもかかわらず、
アンジェリーナ・ジョリーの突出した演技力に食われて目立たなかったとか、
その設定ゆえに名作「カッコーの巣の上で」と比べられがちだとか、
そういうこの映画にまつわるエトセトラは置いても、
この年頃の女性の心理と葛藤と成長を細やかに描いたことで、忘れ難い作品だと思う。
不倫や親子関係から自殺未遂を起こし、境界性人格障害と診断されるスザンナ(ウィノナ・ライダー)。
治療のために精神療養施設・クレイモアに入れられ、はじめは違和感を感じていたけれど、
傷つきながらも自らの感情や境遇から自由でいようとする患者たちと交流するうち、
次第に居心地の良さを感じ、自分の居場所を見つけたように感じるスザンナ。
中でも入院患者たちを支配下に置き、危険な行為を繰り返しながらも、
強烈な印象を相手に与え、魅了するリサ(アンジェッリーナ・ジョリー)との出会いによってスザンナの生活は一変する。
けれど、彼女と交流するうち、彼女が患者たちに囲まれた、施設の中でしか生きられない人間だということに気づき、
退院に向けてきちんと治療を行い、外に出ていく努力をする。
いくつになっても、彼女たちのような危うさやアンバランスさは、女性の中には巣食っていると思う。
表面上まともに見えても、精神のバランスは意外と脆い。
映画の中盤で医師とスザンナが"アンビバレンス"という単語について話すシーンがある。
"アンビバレンス"とは相反する強い感情のこと。
二つの力に引き裂かれる、という意味のこの単語を、スザンナは「どうでもいい」と表現する。
人生はいくつかの"アンビバレンス"に彩られている。
愛情と憎悪、尊敬と軽蔑、
そして単純な引き金で人は生きようと思ったり、簡単に死んでしまったりもする。
アンジェリーナ・ジョリーがアカデミーに輝いた作品だけれど、
個人的にはウィノナ・ライダーの演技に一票入れたい。
確かにアンジェリーナのエキセントリックな演技は素晴らしい。
けれど、ウィノナ・ライダーの"ほとんど"正常に見えて、明晰な頭脳と繊細な危うさを背景に持ち、
ときどきバランスを崩してしまうという役柄は、実際自分や、自分の周りにもありうる感覚だし、
簡単に感情を暴発させてしまう役よりは案外難しいと思う。
他の入院患者たちの演技も皆素晴らしかった。
残念ながら最近心不全で亡くなってしまった、ブリタニー・マーフィーも重要な役どころで出ていたりする。
やっぱり男性より、女性が共感する映画だろうけれど、
年頃の娘をもつ父親なんかも案外観ておいて損はない作品だと思う。
当時の雰囲気も見事に表現されているし、何より施設内の雰囲気もいい。
医師役のヴァネッサ・レッドグレーヴや、婦長役のウーピー・ゴールドバーグなど、脇を固めるベテラン陣も見事。
"GIRL, INTERRUPTED"
17歳のカルテ
1999/USA/127min
監督:ジェームズ・マンゴールド
製作:ダグラス・ウィック/キャシー・コンラッド
原作:スザンナ・ケイセン
撮影:ジャック・グリーン
音楽:マイケル・ダナ
出演:ウィノナ・ライダー/アンジェリーナ・ジョリー/クレア・デュヴァル/ウーピー・ゴールドバーグ
ジャレッド・レト/ブリタニー・マーフィ/エリザベス・モス/アンジェラ・ベティス/ジェフリー・タンバー
ヴァネッサ・レッドグレーヴ/トラヴィス・ファイン
ちなみに主人公スザンナ・ケイセンは原作の作者であり、原作は彼女の施設での経験を描いた作品だそうだ。
"GRAN TRINO"-グラン・トリノ(2008) [movie-g]
クリント・イーストウッド。
毎回、彼の作品を観るたびに、
「なんて作品を撮るんだ」
と、思わされずにいられない監督の一人。
この作品で、事実上俳優業の引退を宣言しているので、
もしかしたらこの作品が彼の監督兼主演作品としては最後の作品となるかもしれない。
そのイーストウッドが演じるのは、50年間フォードの組立工として勤め上げ、
'72年型グラン・トリノというフォードのクラッシック・カーを所有する、
朝鮮戦争帰還兵でごりごりの人種差別主義のポーランド系アメリカ人ウォルト・コワルスキー。
その頑固さゆえに家族からも疎まれ、幾人かの昔馴染みと悪態をつきあう程度の交流しか持たず、
日本車が台頭し、東洋系の移民に占拠されたデトロイトの街で、隠居暮らしをしている頑固な老人。
そんな彼と隣家のモン族の少年タオとの交流を描いたのがこの"グラン・トリノ"である。
モン族、と聞いてぴんとこなかったので調べてみると、
彼らは中国、タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムなどにも住む、歴史上移住を繰り返した民族で、
ベトナム戦争の際、アメリカに協力したことで、終戦後、彼らの一部がアメリカに難民として受け入れられたという。
映画の中でもタオの姉スーがその事実をウォルトに語っている。
この作品はそんな人種的背景を元に語られる。
CAUTION!!
**この後の文章にはストーリーの一部が記載されています。
-------------------------------------------------------------------
ウォルトの妻の葬式から物語は始まる。
妻を亡くし、ますます自分一人の頑固な世界に閉じこもるウォルト。
心を許しているのは飼っている老犬デイジーと、幾人かの昔馴染みのみ。
彼の唯一の楽しみは磨き上げた愛車グラン・トリノを眺めつつ、
ポーチで大好きな銘柄のビールで一杯やること。
さて、そのグラン・トリノ、日本人にはなじみの薄い車名である。
タイトルをはじめて聞いたとき、一体何のことかわからなかった。
英語でgreat~ではなく、イタリア語でgran、そしてtrinoはイタリアのトリノのことだろうか。
何となく、郷愁を誘う響きがある。
この映画の象徴であり、キーとなる車。
しかし物語の最後までこの車が車道を走るところは出てこない。
黒人に絡まれているところを助けたことで、
はじめはタオの姉、スーとコミュニケーションをとるようになるウォルト。
ある日、自慢の庭でもみあうタオと、
彼と同じモン族の不良少年グループがもみ合っているところに遭遇し彼らを追い払うが、
それが結果的にタオを助けることとなり、隣家との交流が深まる。
背後に見えるのが件のグラン・トリノ。
スーや母親に迷惑をかけた償いのためにタオを雑用でもいいから使ってくれと頼まれ、
はじめは疎ましく思っていたウォルトだが、
タオのいいところを目にし、少しずつ彼のことを気にかけるようになる。
朝鮮戦争帰りの白人と移民の東洋人。究極の異文化交流だ。
ただし、文化は違えど、人と人であることには変わりはない。
父親のいないタオに、男としての生き方を教えていくウォルト。
スーにうまくあしらわれ、困惑する姿も微笑ましい。
ウォルトとタオ、ふたりの絆が深まりかけたところで、事件が起こり、
決着をつけるためにウォルトはひとり不良少年グループの元へ向かう。
そこでの結末に、正直言って観客は衝撃を受けるだろう。
けれど観終わって、心の動揺(感動と言ってもよい)が鎮まるのを待って冷静に考えると、
ああ、これはイーストウッドが理想とする人生の幕引きの方法のひとつなのかな、と言う気もした。
まさに老カウボーイが死地に向かい、人生に決着をつけるときのような、そんな、男の幕引き。
…私は女だし、ウォルトが毛嫌いするアジア人でもあるし、彼と相容れること難しいだろうと思うけれど、
タオやスーが彼を好きにならずにいられなかったように、もし、彼の隣人だったら、
彼のことを気にかけるようになったかもしれない。
それは彼が矜持を持っているから、
老いてなお、人として忘れてはいけない「孤」と「個」と「誇」に向き合っているから、だと思う。
こんなじいさん、いまの東京にいてほしいもんだと思ってしまったのは、私だけじゃないはず。
そしてまだまだイーストウッドには作品を撮り続け、できることならまたスクリーンに戻ってきてほしいものだ。
嗄れ声のイーストウッドとジェイミー・カラムが歌う、あくまで静かで穏やかな、エンディングも良かった。
GRAN TORINO
グラン・トリノ
2009/USA/117min
監督:クリント・イーストウッド
脚本:ニック・シェンク
撮影:トム・スターン
編集:ジョエル・コックス/ゲイリー・D・ローチ
音楽:カイル・イーストウッド/マイケル・スティーヴンス
出演:クリント・イーストウッド/ビー・ヴァン/アーニー・ハー
クリストファー・カーリー/コリー・ハードリクトブライアン・ヘイリー
ブライアン・ホウ/ジェラルディン・ヒューズ/ドリーマ・ウォーカー
ジョン・キャロル・リンチ/スコット・リーヴス/ブルック・チア・タオ
毎回、彼の作品を観るたびに、
「なんて作品を撮るんだ」
と、思わされずにいられない監督の一人。
この作品で、事実上俳優業の引退を宣言しているので、
もしかしたらこの作品が彼の監督兼主演作品としては最後の作品となるかもしれない。
そのイーストウッドが演じるのは、50年間フォードの組立工として勤め上げ、
'72年型グラン・トリノというフォードのクラッシック・カーを所有する、
朝鮮戦争帰還兵でごりごりの人種差別主義のポーランド系アメリカ人ウォルト・コワルスキー。
その頑固さゆえに家族からも疎まれ、幾人かの昔馴染みと悪態をつきあう程度の交流しか持たず、
日本車が台頭し、東洋系の移民に占拠されたデトロイトの街で、隠居暮らしをしている頑固な老人。
そんな彼と隣家のモン族の少年タオとの交流を描いたのがこの"グラン・トリノ"である。
モン族、と聞いてぴんとこなかったので調べてみると、
彼らは中国、タイ、ミャンマー、ラオス、ベトナムなどにも住む、歴史上移住を繰り返した民族で、
ベトナム戦争の際、アメリカに協力したことで、終戦後、彼らの一部がアメリカに難民として受け入れられたという。
映画の中でもタオの姉スーがその事実をウォルトに語っている。
この作品はそんな人種的背景を元に語られる。
CAUTION!!
**この後の文章にはストーリーの一部が記載されています。
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ウォルトの妻の葬式から物語は始まる。
妻を亡くし、ますます自分一人の頑固な世界に閉じこもるウォルト。
心を許しているのは飼っている老犬デイジーと、幾人かの昔馴染みのみ。
彼の唯一の楽しみは磨き上げた愛車グラン・トリノを眺めつつ、
ポーチで大好きな銘柄のビールで一杯やること。
さて、そのグラン・トリノ、日本人にはなじみの薄い車名である。
タイトルをはじめて聞いたとき、一体何のことかわからなかった。
英語でgreat~ではなく、イタリア語でgran、そしてtrinoはイタリアのトリノのことだろうか。
何となく、郷愁を誘う響きがある。
この映画の象徴であり、キーとなる車。
しかし物語の最後までこの車が車道を走るところは出てこない。
黒人に絡まれているところを助けたことで、
はじめはタオの姉、スーとコミュニケーションをとるようになるウォルト。
ある日、自慢の庭でもみあうタオと、
彼と同じモン族の不良少年グループがもみ合っているところに遭遇し彼らを追い払うが、
それが結果的にタオを助けることとなり、隣家との交流が深まる。
背後に見えるのが件のグラン・トリノ。
スーや母親に迷惑をかけた償いのためにタオを雑用でもいいから使ってくれと頼まれ、
はじめは疎ましく思っていたウォルトだが、
タオのいいところを目にし、少しずつ彼のことを気にかけるようになる。
朝鮮戦争帰りの白人と移民の東洋人。究極の異文化交流だ。
ただし、文化は違えど、人と人であることには変わりはない。
父親のいないタオに、男としての生き方を教えていくウォルト。
スーにうまくあしらわれ、困惑する姿も微笑ましい。
ウォルトとタオ、ふたりの絆が深まりかけたところで、事件が起こり、
決着をつけるためにウォルトはひとり不良少年グループの元へ向かう。
そこでの結末に、正直言って観客は衝撃を受けるだろう。
けれど観終わって、心の動揺(感動と言ってもよい)が鎮まるのを待って冷静に考えると、
ああ、これはイーストウッドが理想とする人生の幕引きの方法のひとつなのかな、と言う気もした。
まさに老カウボーイが死地に向かい、人生に決着をつけるときのような、そんな、男の幕引き。
…私は女だし、ウォルトが毛嫌いするアジア人でもあるし、彼と相容れること難しいだろうと思うけれど、
タオやスーが彼を好きにならずにいられなかったように、もし、彼の隣人だったら、
彼のことを気にかけるようになったかもしれない。
それは彼が矜持を持っているから、
老いてなお、人として忘れてはいけない「孤」と「個」と「誇」に向き合っているから、だと思う。
こんなじいさん、いまの東京にいてほしいもんだと思ってしまったのは、私だけじゃないはず。
そしてまだまだイーストウッドには作品を撮り続け、できることならまたスクリーンに戻ってきてほしいものだ。
嗄れ声のイーストウッドとジェイミー・カラムが歌う、あくまで静かで穏やかな、エンディングも良かった。
GRAN TORINO
グラン・トリノ
2009/USA/117min
監督:クリント・イーストウッド
脚本:ニック・シェンク
撮影:トム・スターン
編集:ジョエル・コックス/ゲイリー・D・ローチ
音楽:カイル・イーストウッド/マイケル・スティーヴンス
出演:クリント・イーストウッド/ビー・ヴァン/アーニー・ハー
クリストファー・カーリー/コリー・ハードリクトブライアン・ヘイリー
ブライアン・ホウ/ジェラルディン・ヒューズ/ドリーマ・ウォーカー
ジョン・キャロル・リンチ/スコット・リーヴス/ブルック・チア・タオ